福岡地方裁判所 平成5年(行ク)9号 決定
福岡市南区日佐四丁目三六番三一号
申立人(原告)
川上輝幸
右訴訟代理人弁護士
稲村晴夫
同右
浦田秀徳
同右
伊黒忠昭
福岡市中央区天神四丁目八番二八号
相手方(被告)
福岡税務署長 原貞文
東京都千代田区霞が関一丁目一番一号
同右
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右両名指定代理人
富田善範
同右
白濱孝英
右相手方福岡税務署長指定代理人
田島政美
同右
内藤幸義
同右
荒津恵次
同右
福田寛之
右当事者間の当庁平成五年行ウ第三号所得税更正処分取消請求事件について、申立人から文書提出命令の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件申立てをいずれも却下する。
理由
一 申立ての趣旨及び理由
別紙(一)及び(二)のとおり。
二 相手方らの意見
別紙(三)のとおり。
三 当裁判所の判断
1 一件記録によれば、本件訴訟は、相手方福岡税務署長(以下「相手方署長」という。)が申立人の昭和六二年分ないし平成元年分の事業所得金額を算出して課税するに際し、申立人の営む建設業の所得金額を実額で把握し得ないとして、関係資料及び反面調査の結果等に基づき把握した右係争各年分の申立人の売上金額に、申立人の事業所を所轄する福岡税務署管内及び福岡県内に事業所を有し、申立人と業種、業態、規模等が類似する同業者を抽出して算出した調整特前所得率を適用して行った推計課税の合理性等が争われている事案である。
2 ところで、民事訴訟法三一二条による文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には、証人義務、証言義務と同一の性格を有するものであると解されるから、文書提出義務についても、同法二七二条が類推適用されると解するのが相当である。そこで、本件をみるに、本件申立てに係る青色申告決算書及び税額計算書(以下「本件各文書」という。)に記載された所得金額、資産負債の内容等は、個人の秘密に属する事項であるから、本件各文書は、いずれも所得税に関する調査事務に関して知ることのできた秘密に係わる文書というべきであり、このような個人の秘密に属する右事項を記載した本件各文書を公表することは、納税者等との間の信頼関係を損ない、適正かつ公正な納税事務の円滑な遂行に支障を来すおそれが十分にあると認められる。したがって、本件各文書は、いずれも民事訴訟法二七二条一項にいう職務上の秘密に係る文書に当たるものと解するのが相当であり、相手方らは、相手方署長等が租税法上の守秘義務を負っている以上、本件各文書の提出義務を免れるというべきである。
3 また、申立人は、予備的に、本件各文書の記載部分中、申立者の住所、氏名、電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等、納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した本件各文書の写しの提出を求めているが、本件各文書は、そもそも他人の課税資料として使用されることが予定された文書ではないから、それを一部とはいえ他人の課税資料として公開の法廷に顕出することは、本件各文書自体を公表した場合と同様に、適正かつ公正な納税事務の円滑な遂行に支障を来すおそれが十分にあると認められる。したがって、本件各文書は、その全体が課税庁の職務上の秘密に係る文書に当たるものと解するのが相当であり、相手方らは、右写しについても原本と同様に守秘義務によりその提出義務を免れるというべきである。
4 よって、本件文書提出命令の申立ては、理由がないからこれを却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 中山弘幸 裁判官 西川知一郎 裁判官 鈴木博)
別紙(一)
前記当事者間の頭書事件について、原告は次のとおり文書提出命令の申立をする。
一 文書の表示
1 被告国の保管にかかる、本件乙第九号証ないし乙第一三号証の各「同業者調査表」記載の各金額算定の基礎となった青色申告決算書及び税額計算書
2 予備的に、右1の文書の記載部分中、申告者の住所、氏名、電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等、納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した写し
二 文書の趣旨
本件各青色申告決算書及び税額計算書には、同業者比率による本件推計課税に用いられた調整特前所得率を算定する基礎となった類似同業者の、具体的な仕入原価、売上原価及び経費の内訳が記載されている。
三 文書の所持者
被告国(福岡税務署長・博多税務署長・八幡税務署長・西福岡税務署長・小倉税務署長)
四 証すべき事実
本件推計課税に用いられた調整特前所得率を算定するにあたって類似同業者として抽出された七名の業者の、昭和六二年、同六三年並びに平成元年の各総売上に占める仕入を伴う請負、仕入の伴わない請負及び日給制の各売上割合並びに経費における人件費の占める割合が、原告のそれらと著しく異なる事実を証し、もって、被告筑紫税務署長により類似同業者として抽出された右業者と原告との間に類似性がなく、本件推計課税の推計が不合理であること及びこの推計に基づく本件更正処分が違法であることの証とする。
五 文書提出の義務の原因
右一の各文書とも民事訴訟法三一二条一号
別紙(二)
第一 序
被告らは、平成五年一一月九日付け「文書提出命令の申立てに対する意見書」を提出して、原告の文書提出命令の申立の却下を求めている。
そこで、本書面で、右意見書で被告らが述べているところがいかに誤っているかを明らかにする。
第二 決算書等の提出義務について
一 そもそも、民事訴訟法三一二条一号で当事者が自ら引用した文書について提出義務をみとめたのは、もっぱら訴訟においては当事者は実質的に平等であらなければならないという基本的要請に基づくものである。当事者の一方が訴訟においてその所持する文書を自ら引用して自己の主張の根拠としながら、その提出を拒むのは当該訴訟の相手方当事者から反証の機会を奪い、当該当事者の防禦権を侵害することになる。更に、文書を引用してなした相手方の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らせることになる危険性がある。
二 ところで、本件のように、違法な推計課税による被害の救済を求める訴訟において当該推計が同業者比率による推計であれば、その同業者比率の算出過程に誤りはないか、特に比準同業者が本当に推計課税の対象業者と類似性を有するのかが重要な争点となる。
そして、推計課税における同業者比率の算出過程は、被告らの税務行政内部で行われるものであり、原告ら推計課税の処分を受ける国民はその算出過程になんら関与していないため、その算出に使用した同業者の決算書等の資料を訴訟外で手に入れることは不可能である。このような資料はもっぱら被告らが独占しているのである。このように証拠が極端に偏在しているのである。
従って被告らが本件訴訟において、同業者比率による推計課税の適法性の根拠として批准同業者の決算書等を引用しているにもかかわらず、被告らがこれらの決算書等の提出を拒むことを裁判所が認めるならば、原告は反証の機会を奪われ、防禦権が著しく侵害されることになり、民事訴訟法三一二条一号の存在意義をまったく無視する結果となるのである。
三 更に、被告らが右決算書等の提出を拒んでいるにもかかわらず、同業者比率の算出に誤りがなく適法であると認定することは、まさに「国が適法と主張するから適法と認定する」ということに他ならない。この理を是認すると、同業者比率の算出に誤りがあるために違法な推計課税を受けた国民が、その違法性を主張して損害賠償を裁判所に求めても、国が比準同業者の決算書等に基づいて同業者比率を算出したと主張するだけで、裁判所は、その同業者の存在、右決算書の存在、比準同業者の類似性を実質的になんら審理することなく、国の同業者比率の算出に誤りがなく当該推計課税は適法であると認定せざるをえなくなってしまうのである。これは、明らかに裁判所自らが真実発見を放棄し、違法な国家行為によって被害を受けた国民に救済の道を閉ざすものである。
四 被告らは右意見書で、自らの意見の正当性の根拠として、民事訴訟法三一二条一号の文書提出義務はないと判断した裁判所例を引用しているが、実際の裁判例は文書提出義務を否定したものだけではない。訴訟における当事者の実質的平等及び裁判所の真実発見の要請を重視し文書提出義務を認めた裁判例も存在する。(名古屋高裁昭和五二年二月三日決定・判例時報八五四号六八頁)。
第三 固有名詞を削除した文書の写しの提出義務について
一 被告らは、文書提出義務の免除の根拠として守秘義務を主張しているが、この守秘義務の実質的根拠は、引用文書である当該決算書を作成した同業者のプライバシーの保護にほかならない。
しかし、仮に同業者のプライバシーの保護を重視するとしても、そのことから直ちに、被告らが、自ら引用した決算書等の文書提出の義務をまったく免除されるということにはならない。プライバシーの侵害のおそれの高い固有名詞を削除した写しを提出すれば足りるのである。
二 これに対し、被告らは、決算書等から固有名詞が削除されても、それらが不特定多数の調査先に開示され、記載内容や筆跡等から作成者が特定されるという危険性があると主張する。
しかし、本件で提出を求めている決算書等の作成者たる同業者は、福岡税務署、博多税務署、八幡税務署、西福岡税務署及び小倉税務署の管内の納税者である。これらの管内の膨大な数の青色申告者のなかから固有名詞を削除した書類を使って調査して、その作成者を特定することは常識的に考えても不可能に近い。このような漠然とした危険性の主張を理由に原告から反証の機会を奪い、原告の防禦権を侵害することはとうてい許されるものではない。
もし仮に被告らがプライバシー侵害の具体的危険性があると主張するのならば、決算書等のどの記載部分が存在することにより、どのように作成者が特定される具体的危険性があるのかを明らかにするべきである。
三 記載事項の内容や証拠としての提出方法によっては、作成者たる同業者のプライバシーの不当な侵害にはならないことは、被告ら自身も認めているのである。だからこそ被告らは本件訴訟において、「同業者調査票」(乙第九ないし第一三号証)という形式で、同業者をA・B・Cといような形で特定し、その売上金額、特前所得金額、専従者給与、専従者数などの同業者のプライバシーに属する事がらを明らかにしているのである。
決算書等などの記載事項すべてを明らかにすることや筆跡を明らかにすることが同業者の特定につながるというのであれば、調査項目から専従者給与の続柄及び年齢、減価償却資産の明細などを除外して、被告らが自ら行ったように各税務署へ照会し、その回答書を提出する方法をとることもできるはずである。
四 被告らは、民事訴訟法三一二条一号の文書提出命令制度は現存しない文書を新たに作成し、その提出までも命じたものではないことを根拠に、固有名詞を削除した決算書等の写しの提出命令の申立を却下すべきだと主張する。
しかし、被告らのように民事訴訟法三一二条一号の文書提出命令制度を形式的に解釈するのは誤りである。
被告らは、自ら右同業者の決算書を訴訟において引用しているのであるから、本来は民事訴訟法三一二条一号により文書提出の義務が課されるのである。ただそれをそのまま認めると、これらの文書の作成者たる同業者のプライバシー保護(被告らの守秘義務)という別な法的要求と衝突することになる。そこでその調整を求められているというのが、本件の問題である。
何度も繰り返すが、民事訴訟法三一二条一号の文書提出命令の趣旨は、一方当事者が自己の主張の根拠として訴訟において引用した文書に関しては、相手方当事者に対し、その文書に関して反証の機会を与えるというところにある。そうだとすると、現存する文書をそのまま提出することがどうしても困難なため、しかたなく、相手方当事者が現存する文書の代わりにその文書の記載の一部を削除した写しでもかまわないから提出を命じて反証の機会を与えてほしいと求めているのであれば、その正当な要求を満たすことの方が民事訴訟法三一二条一号の文書提出命令の制度趣旨に合致するのである。当該文書を訴訟において引用した当事者がその文書の記載の一部を削除した写しの提出を命じられたからといって、そのことによって、当該文書をそのまま提出することを命じられた時よりも、ことさら不利益を課せられることにはならない。
だからこそ、固有名詞を削除した決算書等の写しの提出を命じることを認めた裁判例も多く存在するのである。(名古屋高裁昭和四九年三月二九日判決、大阪高裁昭和四九年一二月二五日判決、大阪地裁昭和六一年五月二八日決定)。
別紙(三)
原告は、平成五年九月三日付け文書提出命令の申立て(以下、「本件申立て」という。)により、本件比準同業者の所得税青色申告決算書及び税額計算書(以下、「決算書等」という。)又は申告者の住所・氏名・電話番号、所在地・従業員の氏名等、納税者の特定につながる固有名詞をすべて削除した右決算書等の写し(以下、「固有名詞等を削除した決算書等の写し」という。)の提出命令を申し立てているが、本件申立ては、次のとおり理由がないから却下されるべきである。
第一 決算書等の提出義務の不存在について
一 守秘義務による提出義務の免除
1 民事訴訟法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものであるから、文書所持者にも、同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用されると解される。
2 ところで、公務員が証人であるときには、その職務上の秘密につき尋問する場合においては裁判所は当該監督官庁の承認を得ることを要する(同法二七二条)とされ、公務員の職務上の秘密であることを理由とした証言拒絶(同法二八一条一項一号)の場合には、その当否について裁判所が判断をする余地はない(同法二八三条一項)とされている。したがって、尋問事項が公務上の秘密に属するかどうかの実質的終局的な判断権は裁判所にはなく、監督官庁に委ねられていると解される(斎藤秀夫編著・注解民事訴訟法五巻四一ページ、井口牧郎「公務員の証言拒絶と国公法一〇〇条」実務民事訴訟講座1・三〇六ページ)。
そうすると、人証か書証かの証拠方法の差異によって、職務上の秘密の保護に違いはないから、この理は、当然守秘義務による文書提出義務の免除となる事項が否か、すなわち職務上の秘密に該当するか否かについても、同様に適用されるべきであり、結局、守秘事項か否かの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は、どのような方法により守秘義務違反を回避するかということも含めてすべて行政庁に委ねられているというべきである。
3 以上の検討によれば、文書の場合でも、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである(富山地裁平成元年八月三一日決定・税務訴訟資料一七三号六〇五ページ、名古屋高裁金沢支部平成二年一月二四日決定・前掲資料一七五号三六ページ)。
二 申告納税制度下における守秘義務について
1 現行の申告納税制度は、課税当局と納税者間の信頼関係を基礎に成り立っているから、仮に課税当局が守秘義務に違反したとすると、税務行政の今後における執行に重大な支障を招来することは必至であり、国家の利益または公共の福祉に重大な損失ないし不利益を及ぼすことは明らかである。
2 原告の本件申立てに係る決算書等は、いずれも納税者の営業上の秘密やプライバシーに関する売上、売上原価、人件費、所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、被告である税務署長は、職務上知り得た納税者の所得に関する右の事項につき、国家公務員法一〇〇条、所得税法二四三条の規定によって、守秘義務を負うものであることは明らかである(東京高裁昭和六二年九月四日決定・税務訴訟資料一五九号四九一ページ、月六日決定)。
二 固有名詞等を削除した決算書等の写しの守秘義務について
固有名詞等を削除した決算書等の写しであっても、個人のプライバシーや営業上の秘密に関する事項が多数記載されているから、これを提出すれば、原告側の調査過程で、不特定多数の調査先に開示され、かつその記載内容、筆跡等から申告者が特定される危険がある。現に以前、課税庁において固有名詞等を削除した決算書等の写しを提出したにもかかわらず、申告書の専従者給与の続柄及び年齢、減価償却資産の明細あるいは同業者組合における調査等から決算書等の同業者を特定し得たという例もあるから、このような決算書等の写しを提出することは、被告税務署長が国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって負う守秘義務に照らし、できる限り避けるべきものである(前掲東京高裁昭和六二年九月四日決定、前掲名古屋地裁昭和六三年一二月一二日決定、前掲広島高裁松江支部平成元年三月六日決定)。
三 まとめ
したがって、固有名詞等を削除した決算書等の写しについても、被告税務署長は文書提出義務を免れることは明らかである。
第三 結論
以上の次第であるから、本件申立てに係る各文書についてはいずれも文書提出義務がなく、本件申立ては速やかに却下されるべきである。